凡才の価値
Pentax KM, smc Pentax FA43mmF1.9 Limited, Fujifilm 100 ACROS
昨日は本当に久しぶりの (1か月以上ぶり?) のデジタル写真でしたが、今日はまた自家現像のモノクローム写真です。
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話は全然変わりますが、僕には、誇れる才能がひとつもありません。
一流と呼ばれる人たちが持っている「このことはだれにも負けない」と思えるものがひとつもないのです。
天才同士が出会って、お互いに刺激し合って素晴らしい仕事を成し遂げる、というのは、いつも感動的で憧れます。
「自分にもなにかそういうものがあるに違いない」と思って探したこともありました。
才能のある人を羨んだり、それを持たないことに卑屈になったりしていました。
でも、今は素直に才能がないことを認めて、それでも卑屈になることなく生きていけるようになりました。
確かに僕の仕事 (産業翻訳) には、創造性は要求されません。
必要なのは真面目にコツコツ、ミスが少なくなるように心がけることだけです。
(僕のホームページでも書きましたが) 人間の体に例えれば、イチローやマイルスのような天才が脳細胞なら、僕は角質細胞のようなものです。
誰もが脳細胞になれるわけではないし、脳細胞だけでは体は成り立ちません。
角質細胞だって、角質細胞なりの存在理由があるのです。
だれかにとっての僕が、体にとっての角質細胞程度の存在理由を持つならば、僕は十分に存在している価値があると思うのです。
そう考えるとね、少しがんばれる気がします。
角質細胞なりに、ね。
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