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2009年10月31日

現在、ギター改造中

先日の “言葉”、気に入ってくれた方が多く、メールやコメントでそのことを伝えてもらって、とても嬉しかった。

  ・・・

日記に音楽ネタ書くの久しぶりだなぁ。

現在、ギター改造中。
でも、仕事が忙しくて、仕事の合間に少しずつ作業を進めてる。
なので、仕事場にはギターを乗っけた作業台が出っぱなし(笑)

以前から愛用していたこの Riverhead の Wizard はほんとに良くできたギターなんだけど、僕が出したい音を出すにはボディが重過ぎる。なので、最近は Fender Telecaster Thinline がメインになっちゃって出番が極端に少なくなった。
いっそのことシングルコイルを入れて重いボディを活かそうか、それなら 4 コンダクターをタップするか、それとも、P90 か、などと考えていたところ、ひょんなことから Saymour Duncan の P-Rails ピックアップを入手!これを入れることに。
このピックアップ、なかなか面白くて、1つのピックアップで、ビンテージストラトのようなシャキシャキなシングルコイル、P90 ソープバーのようなブライトだけど太めのシングルコイル、パワフルなハムバッカーの3種類が出せる。
ただ、このギターは普通のギターと違うので、ピックアップの換装だけでも座繰りをやり直したりしなくちゃいけない。ドリルでギター削りまくりです。
また、P-Rails の方も、ワイヤリングやスイッチが少しだけ特殊(ギターとしてはね)なので、ワイヤリングはすべてやり直し。
(やり直さないと配線が長くなりすぎてノイズが乗っかる。)

詳細は完成後。


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2009年10月28日

大切なのは、“今”自分がしたいことは何か、が分かっていること。


Fujifilm Finepix S5 Pro, Sigma DC 24-70mm 1:2.8 EX DG

ずいぶん日が傾いてきましたね。
仕事場の中まで陽が入ってくるようになりました。

  ・・・

「過去には思い悩む余地はなく、未来は思い悩むだけ無駄だ。大切なことは今何がベストかを考えることだ」
by 俺

自分で言うのもなんだけど、なかなかいい言葉でしょ?(笑)


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2009年10月22日

ツイてない、って思わない

夕暮れ時の建物ってなにか呟いているように見えること、ない?

  ・・・

今日はちょっとアメコミ風。
今回も、「土曜日、公園にて」のモチーフの “空”、“小鳥”、“階段” を入れた。
絵はいいね。自由だし。
写真だと、ぐちゃぐちゃ言う 2ch のカメラヲタクが憂鬱だけど、絵だとそんなことないしね。
そんなこと言う暇があったら、まずセンス磨いたら?って思うね(笑)

  ・・・

最近、「ツイてない」って思うことがなくなった。
「ツイてる」とか「ツイてない」とか、そういうことってないんだよ。

たとえば、宝くじで1等が当たらなかったからと言って「ツイてない」って落ち込む人がいるだろうか?
良く考えてみると、普通に生きていけていけるだけでかなりツイてる。
そういう確率も含めて自分の人生なんだもん。

ワンコは野良犬の子として生まれたからと言って「ツイてない」って思ってないと思う。
自分の運命をありのまま受け入れてる。
そういう生き方がしたい。

  ・・・

大谷大学の一楽 真氏が、自身がお守りを持たないことに関する記述で良いこと書いてた。

たとえば、交通事故にあったのはお守りを忘れたからだとか、商売がうまくいかなくなったのは始めた日が悪かったからだとか、…(中略)… 問題の原因さがしに追われたり、もっと効力のあるお守りをさがし求めたり、振り回されていくのです。
自分にとって良いことを追い求め、都合の悪いことを避けようとする、これは人間の性分といっていいでしょう。しかし、良いことだけを追い求める生き方は、必ず悪いことを恐れるようになります。そして悪いことが続くと、自分の人生までも呪ったりするのです。
どのような状況に投げ出されたとしても、自分の人生は誰とも代わることはできません。しかし、それは同時に誰とも代わる必要のない人生なのです。お守りをもたないということは、良し悪しを越えて、現実と向き合っていこうとする生き方の表現なのです。
出典 : 『お守りを持たない理由』 一楽 真 大谷大学助教授


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2009年10月16日

ナンバーワンでも、オンリーワンでもなくていい。その他大勢の一人でいい。


Olympus E-P1, Voigtlander Nokton classic 40mm F1.4 MC
 
 
「他人の評価が気にならなくなった」っていうと、「どうして、そうなれたの?」って訊かれる。

で、よく考えてみると、そうじゃないんだよ。

他人の評価を気にしない、っていうのは、無理だ。
他人の評価が気にならなくなったんじゃなくて、無理してまで他人の評価を上げるのが面倒になった、っていうか、そういうことは不可能なんだ、っていうことがわかった、ってことかな。

もう充分頑張ってきたしね。
今が自分のベストだし、これ以上は無理、って胸張って言える。
ということは・・・これでも「評価が低い」と思うなら、自分を自分で高く評価しすぎてるんだろうな、と。
今の他人からの評価が自分に丁度いいんだよ、と気付いた。

「代わりのいない特別な存在になりたい」と思うのは自然なんだろうだけど、どうも世間的に「代わりのいない特別な存在を目指せ」みたいな空気があって、とても息苦しくなる。

  ・・・

「ナンバーワンじゃなく、オンリーワンを目指せ」なんて無責任なスローガンでみんな苦しんでる。
みんな「僕しかできないことを見つけなきゃ」なんて心のどこかで思ってしまってる。
誰もがオンリーワンになれないんだよ。

働き蜂がみんな自己主張して「この素晴らしい花畑はワタシしか知らない」とか言って、他の働き蜂に教えなかったら、その巣は全滅だよね。
他の働き蜂でも同じことができてもいいじゃない。
その他大勢の一人でいいじゃない。

そりゃ、努力せずにサボっていて他人からの評価が低い場合は後悔するかもしれないけど、ちゃんと精一杯やってるなら、それ以上はできないんだから。

誰もが女王蜂になんてなれないんだよ。
代わりのいない働き蜂なんていない。
でも、働き蜂は1匹じゃだめなんだ。
みんなで一所懸命働くから、女王蜂だって子供を産める。
代わりがいるかどうかと、価値があるかどうか、はまったく関係ないんだよ。

「代わりはいるかもしれないけど、僕は僕なりにこのポジションで精いっぱいやったよ。」

そう言えるなら、それは充分に素晴らしいことだよ。
そうは思わない?
 
 
  ・・・

話はめちゃくちゃ変わるけど、超久しぶりに「ファッション通信」のコーナー。
僕の今年のテーマは、“乗馬スタイル”。
昨年から流行のクロップトをクロップトとしてではなく、乗馬のキュロット風に改造し(ラインを詰めて改造)、ニッカホーズにソックスイン!して、乗馬テイストで解釈しています。
これ、多分、だれもやってないと思う!

ちょっと今回は凝ってて話が長くなるので、↓の「続きを読む」で。


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いやぁ、久しぶりです。
↑ でも書いたけど、僕の今年のテーマは “乗馬スタイル”。
あ、それから、既存の洋服の有効活用、ね。(笑)

今年のテーマに沿った第一弾↓

ここはうちの庭なんだけど、平日の真昼間に、三脚立てて、レフ板まで立てて、セルフタイマーで自分の服の写真撮ってる、ってどうなの?って思いますが・・・(苦笑)

クロップトをなにか違うテイストで解釈できないものか、といろいろ考えていたところ、「クロップトを乗馬のキュロット風に改造して、ニッカホーズにソックスインする」っていうアイデアが浮かんだ。

ウィメンズでは、昨年くらいからジョキーブーツが流行りですが、メンズはないよね。
確かにメンズでジョッキーブーツはなかなか難しいと思う。

そこで、黒のハーフブーツにニッカホーズ (ニッカボッカーズで履くソックス) を膝まで伸ばして、そこにスラックスをソックスイン。
トップスは、腰丈のタイトなものを選ぶと、ほら、ね?乗馬スタイルっぽいでしょ?
各パーツ、パーツを見ると、全然乗馬っぽくないんだけど、(トップスはダッフル風ニット、ボトムスはウールやコットンツイルのスラックス、ソックスはニッカホーズ、ブーツはハーフブーツ)、全体で見ると、乗馬風。

ちなみに、右足にしているベルトっぽいものは、皮のブレスレットを 2 つつないだものです。
それに、スタッズとコンチョを付けたシンプルなものです。

自分では、なかなか面白いと思ってます。

しかも、今回使った洋服はほとんど手持ち。
トップスは僕の大好きはキャサリン・ハムネットの HAMNETT ダッフルニット。
スラックスは、前から持ってたスラックスを膝下でカットして、ウエストライン~わたり部分の丈を詰めて、ラインを変更。ソックスベルト(?)はブレスレット x2 だし。

お金かかってませ~ん(笑)



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2009年10月13日

「これでいいのだ」


Sigma DP2, SIGMA LENS 24.2mm 1:2.8
 
人気者になんてならなくていい。
その他大勢の一人でいい。

自分ができることを、自分のベストでやれていれば、誰にも恥じることはないよ。

ずっと上を向いて生きている必要なんてない。
でも、ずっとうつむいて過ごすこともない。
だって、君は充分頑張ってるもの。

今のままでいいんだよ。

そう、それでいいんだよ。
 
 

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2009年10月11日

丁度良い


Sigma DP2, SIGMA LENS 24.2mm 1:2.8
 
 
先日、連続で「南無阿弥陀仏の世界観」について書いてから、南無阿弥陀仏の意味を考えてた。

それで、いろいろ気づくことがあった。
それが本当に南無阿弥陀仏の世界観かどうかは僕にはわからない。
でも、とても楽になった。

  ・・・

たとえば、他人となじめないこと。
たとえば、自分が理想の自分とは違うこと。
たとえば、他人からの評価が低いこと。

そういうことで自分を責めてはいけない。

「どうして自分はこんなことができないんだ」なんて自分を責める必要なんてない。
誰もが超一流になれるわけではない。超一流の人が超一流でいられるのは、そうでない圧倒的多数の人がいるから。
人それぞれには器があり、努力してもできないことはできない。
自分のできる範囲で、できることをやればいい。
他人様の評価は、自分ではコントロールできない。
自分ができる以上のことはできないんだから、やれるだけやって、他人様の評価が低くてもそれはどうしようもないし、悩んでも仕方ないこと。

南無阿弥陀仏 - 阿弥陀仏の思し召し通りに
導きに従って生きれば、無理なくに生きて行けいるようになっている。
つまり、無理なく生きるようにすれば、すなわちそれは導き通りの行き方になっている。
水が沢を流れ下るように、自然とそうなるように出来ている。

僕が、以前、モータースポーツの師匠の一人、田中“極楽堂”稔 氏から教えてもらった言葉、今になって分かった。

 ***

丁度良い

おまえはおまえで丁度良い
顔も体も名前も姓も丁度良い
おまえにそれは丁度良い

貧も富も親も子も
それはおまえに丁度良い

幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度良い

歩いたおまえの人生は、
悪くなければ、良くもない
おまえにとって丁度良い

地獄に行こうと、極楽に行こうと
行ったところが丁度良い

卑下することもない

上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度良い

仏様と二人連れの人生
丁度良くないはずがない。

南無阿弥陀仏

 ***


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2009年10月10日

こんにちは、静かな土曜の午後。


Pentax K20D, smc Pentax FA135mmF2.8[IF]

今日は、そんな感じの土曜日でした。
みなさんの土曜日はどんな土曜日でしたか?


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2009年10月07日

ジン、作ってみた


Fujifilm Finepix S5 Pro, AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G

なんだかトイレの写真多いなぁ。
でも、うちのコンクリート壁のトイレ、本当に好きなんだよね。自分で壁も塗ったし、タイルの棚も作ったし、今回はちょっと写真も飾った。
フレームは、手持ちで使っていなかった木枠のやつをまずペンキで黄色く塗って、その上から白のアクリル絵の具を塗ってから、少しサンドペーパーで “ユースト加工”。

  ・・・

最近、何かと話題に上がるジン。
もうマスメディアの時代は終わった、というのを実感するね。

僕もジン作ってみた。



タイトルは、「土曜日の猫 通信゛」 (どようびのねこ つうジン)

面白いね。こういう少量部数発行の本。



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2009年10月03日

【またまた続き】 ないものねだりしないこと、と、南無阿弥陀仏


Sigma DP2, SIGMA LENS 24.2mm 1:2.8

前々々回の日記で、音羽屋さんから「南無阿弥陀仏の世界観」だ、というコメントいただいて、確かに、「ないものねだりしないこと」と「南無阿弥陀仏」の世界観は似ている気がした。
以下、調べてみたことと、自分なりの解釈。

「南無阿弥陀仏」はサンスクリット語の
「ナモ」

「尊重する。」
ヒンディー語の「ナマス・テ」の「ナマス」と同じ (ちなみに「テ」は「あなた」)。

「アミターバ」
阿弥陀仏。世界をあまねく照らす無量の光。厳しい修行による臨死体験での「トンネル体験」から、「極楽浄土へ導く光」が元になっている、と以前聞いたことがある

「阿弥陀仏の思し召しどおりに」と、考える。
以下、自分なりの解釈。

***

我々は、導きによって、それぞれの役割をもってこの世を生きている。
だから、自分にできることを自分にできるようにして生きればよい。
それ以上のことはできないし、自らにそれ以上を求める必要もない。
あなたには、あなただけのこの世での役割があり、それをすることがあなたがこの世にいる意味だからだ。
***

僕は仏教には詳しくないけど、もしこういう意味なら、今はとてもよくわかる。

自分に求めすぎてはいけない。
運命や、他人様の気持ちは、コントロールできない。
コントロールできないものを気に病んでも仕方がない。
自分でできる範囲のことを、できるようにやればよい。


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