新月前夜、窓、そして君の事。【第 7 話】
文・イラスト: セキヒロタカ
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[前回までのあらすじ]・・・
新月前夜に「その」部屋の明かりが必ず2度明滅することに気付いた僕は、新月前夜になるとベランダから観察していたが、その晩はいつもと違って点いたまま消えなかった。その緑の明かりに暗示めいたものを感じ、翌日「その」ビルに行った僕が見たのは外壁を覆われたビルだった。そこで僕は「静かな朝の天気予報」の女の子に出会い、彼女と「耳たぶ」の契約をする。
翌朝起きると、僕は一人でベッドにいた。
彼女の姿を探したが、どうやら出かけたようだった。よほど静かに支度をして出かけたか、僕が熟睡し過ぎていたか、のどちらか、またはその両方だ。
彼女は僕が寒がらないように暖房をつけたままにしてくれていたようだった。
ソファの上には、昨夜僕が脱ぎ散らかしたであろう服と下着がきちんとたたんで置いてあった。僕はそれを見て少し気恥ずかしくなり、服を着ようと起き上がりソファの方に歩いて行った。
ソファの前のローテーブルに置手紙があった。
彼女は郵便局と市役所に行く用事があること、お昼ごはんを買って帰ってくること、オーブントースターに食パンをセットしておいたのでお腹が空いたらトーストして食べてほしいということ、飲み物は冷蔵庫の中の好きなものを飲んでいいし、部屋のものは自由に使っていいということ、出る用事があったらこのスペアキーを使って欲しいということ、が書いてあり、手紙の上に部屋の鍵とオートロックの鍵が置いてあった。
僕は彼女が手紙を書いてくれているところを想像して暖かい気持ちになった。
彼女は僕が知る唯一の左利きの女の子だった。彼女はいつも左手でとても優雅に文字を書いた。空気中に浮かんでいる、まだ形になる前の言葉を、彼女が左手を通して文字にしていく様子は、まるで魔法を見ているようだった。
彼女の手紙を読み終えると、急に空腹感がやってきた。オーブントースターを開けると4枚切りの食パンがセットしてあり、コーヒーメーカーには水と挽いた豆がセットされていた。僕はオーブントースターの「トースト」ボタンを押し、コーヒーメーカーの電源を入れた。
コーヒー豆が暖められた水分を含んでいく匂いで僕の頭は少しずつ働き始めた。
重要なことは早く調べておかないといけない。物事を明らかにするには事態が安定するまでの間が重要だ。端緒から離れれば離れるほど、真実は見えにくくなる。
とりあえず、部屋に戻って今ある情報を整理し、これから調査する必要のある情報を洗い出す必要がある。
僕は、コーヒーとトーストを胃の中に入れ、食器を片付けてから、ローテーブルの上にあったメモパッドからメモを1枚切り取った。そして、用事があるのでいったん自分の部屋に戻るがまたすぐに帰ってくること、僕が合鍵を持ったままなのは良くないと思うから部屋に鍵をかけてからポストに入れておくことを書いた。それを彼女の置手紙のあった場所に置いた。そして、彼女が書いてくれた置手紙をきれいに四つ折にしてポケットに入れた。
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僕は部屋に戻り、これまでのこと、彼女から聞いたこと、自分で入手した情報を整理した。自分で入手した情報は無いも同然だった。
あの日、「あの」ビルに来ていたのは、おそらく公安関係者だろう。それなら、これ以上調査するならどうしても公安事案関連の資料が必要になる。
僕は、古くからの友人の前田に連絡を取った。彼は雑誌社に記事を持ち込んでいるフリーのジャーナリストで、警察回りも長く、そこそこパイプも持っている。
携帯電話に掛けると、いつもなかなか電話に出ない奴がすぐに電話口に出た。
「お前、何か妙なこと始めただろう。」
と開口一番、前田は言った。
「どうしてそんなこと知ってるんだ?」
「オレがどれだけこの業界にいると思ってる?無警戒の素人があんな場所で毎日ウロウロしてたら誰だって気付くぞ。それでオレに連絡してきた、ってことだろう?まぁ、どんな用件かはおおよそ見当が付く。少なくともピクニックのお誘いでないことくらいはわかる。」
「それなら話は早い。教えてほしいことがあるんだ。」
「電話は駄目だ。場所を決めて会おう。FAX で送る。FAX の番号を教えてくれ。」
僕が FAX 番号を教えると、「そのままそこで待て」と言って前田は電話を切った。
しばらくすると、FAX で待ち合わせの場所が送られてきた。隣の市の中心から少しだけ歩いた所にあるスターバックスに1時間後、徒歩で来い、というものだった。降りるバス停も指定されていた。FAX の発信元から見るとどうやら、近くのコンビニエンス ストアから送ったようだった。かなりの念の入れようだな、と僕は思った。
僕は早速着替えて(それまで僕は昨日の服のままだったのだ)、隣の市の中心地に向かった。バスを2本乗り換えて、指示されたバス停で降り、スターバックスに向かった。
そのとき、携帯電話が鳴った。前田からだ。
「こちらから、お前の姿が見えるよ。」
「どこにいるんだ?」
「いいか、スターバックスを通り過ぎてすぐの交差点で道を渡れ、向かいの映画館の隣の喫茶店の窓際にいる。」
僕は四車線道路の歩行者信号が青になるのを待って渡った。喫茶店はミニシアターの陰になったところにあった。昔ながらの、という感じの喫茶店だ。
ドアを押して入ると、ドアベルが「からんからん」と鳴った。
右を振り向くと、そこに前田がいた。
僕は表情をなるべく変えないようにして向かいに座り、ダッフルコートを脱いで隣の席に置いた。
注文を取りに来た女の子にホットのブレンド コーヒーを注文してから前を向くと、前田は俯き加減で顔をしかめながらタバコに灯を点け、マッチを振って火を消していた。
「最近マッチがなかなか手に入らなくてねぇ。そのために喫茶店に来ているようなもんだ。」
「スタバにはマッチはないからな。」と言って僕は笑った。
前田はちょっと苦笑いを浮かべたが、真顔に戻って言った。
「俺から言えることは、あまり深入りするんじゃない、ってことくらいだ。」
「いや、深入りしようと思っているわけじゃないんだが、進行中の公安事案を調べる方法はないかなと思ってね。」
そう言って僕がいきさつを話すと、前田は指に持っていたタバコをくわえなおし、諭すような口調で話し始めた。
「警察には捜査情報を保存しているシステムがあるのは聞いたことがあるだろう?内部の人間は“TOP-WAN”と呼んでるが、当然、アレには部外者はアクセスできん。警察内部でも端末で検索できる範囲は階級ごとで限定されてるくらいだからな。政治マターになる可能性のある事案なんて、アクセスできるのはごくごく一部の人間だ。TOP-WAN はクローズドなネットワークで運用されていて、インターネットには接続されていないから、ハックも無理だ。」
前田は少し間を空けてタバコの煙を吐き出し、1/3位残ったタバコを灰皿に押し付けながら続けた。
「警察官はリークがバレたらクビだからな。何の得もないのにリークはせん。特にその手のヤバい事案はな。警察官は退職しても守秘義務が掛けられているからそっちの線も無理だ。事件を担当した弁護士から情報取ろうにも、そもそも立件されていないわけだからな。それも無理だ。」
前田は、タバコの箱を取り出して、トントンとテーブルの端を叩き、また1本タバコを取り出して口にくわえた。マッチ箱を親指と人差し指で挟んで手の中で回しながら、何かを考えているようだった。
「あのビルから運び出されたブツ、どこに送られたと思う?」
タバコに灯を点けないまま前田はそう僕に訊いた。僕は黙って前田の顔を見ていた。
「SPring-8 さ。」
前田はそう言うとタバコに灯を点け、大きく煙を吸って吐いた。
「その後、和光の方に送られたらしい。まぁ、そういう事案ってことだ。」
前田はそう言って、「とにかく気をつけたほうがいい」と言った。
僕たちは残っているコーヒーを一口だけのみ、席を立った。
僕はノー ギャランティーで前田の時間を拘束したことを侘び、そのうち何らかの形で返す、と言った。前田はタバコをくわえたまま、
「この店を出たら、お前は左へ行ってバスに乗れ。」と小声で言った。
僕は、無言で頷き、前田より先に出て左に曲がった。
交差点で信号待ちをしている間、横目で前田を追った。
彼はそのまま右に曲がり喫茶店の奥の路地に入っていった。その間、こちらを見ることはなかった。
・・・
時計を見るともうすでに夕方だった。
僕は慌てて、彼女のマンションに向かった。
オートロック端末のテンキーで部屋番号を入力したが応答がない。電話を掛けてみようと携帯電話を取り出すと電源が切れていた。僕は1日半くらい充電をしてなかったことに気付いた。なんてこった。いつもはこんなヘマはしないのだけど。
合鍵をポストに入れたので、部屋に入っているわけにも行かない。僕は待つしかないのだ。
部屋で待つのもここで待つのも変わりないかと、コーヒーを買って近くの公園に行きしばらく時間を潰すことにし、マンションの正面の階段を下りようと振り返ると、階段の下に彼女がいた。
(つづく)
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コメント
hirobotさん、こんにちは。
サスペンスチックになってきましたね。ドキドキしてきました。楽しみですー。(^^)
投稿者: なん | 2010年01月24日 10:30
上のなんさんと同じく、
ドキドキです。
今回も急展開で、hirobotワールドに完全にハマってます(笑)。
投稿者: taku | 2010年01月24日 14:43
*** なん さん ***
こんばんは!
コメントありがとう!
楽しんでもらえているようでとても嬉しいです。
でも、X-Files とか CSI: シリーズみたいなアメリカ人的展開は期待しないでくださいね~笑
投稿者: hirobot | 2010年01月24日 20:35
*** taku さん ***
こんばんは!コメントありがとうございます!
そんなに言っていただいてなんだか恐縮です。次回もぜひ!
投稿者: hirobot | 2010年01月24日 20:38
SPring-8 ですかあ。
って、意味深ですが、
すごくワクワクします。
2時間ドラマになりそう。
投稿者: funamyu | 2010年01月25日 13:34
*** funamyu さん ***
こんにちは!コメントありがとうございます。
> SPring-8
絶対 funamyu さんはそこに引っかかってくれると思ってました!笑
あと「和光の方」もなかなか良い感じでしょ?
投稿者: hirobot | 2010年01月25日 13:44
TOP-WANもいいですし、
勿論、和光も!
以前、職場に和光というか朝霞出身の人が居て、いろいろ話を聞きました。
投稿者: funamyu | 2010年01月26日 14:52
あっ、そうかあ。なるほど。
あの法人って和光にあるなあ。
だって、うちの取引先です。
和光っていうから、陸上自衛隊の和光かと思っちゃいました。
テロ関連。
しかしSPring-8を見てみたいです。佐用にあるやつ。
あの近くに、私の本名の駅名があるんですよ!
投稿者: funamyu | 2010年01月26日 15:23
彼女の部屋からトーストとコーヒーの香りがしてきそうな描写力!!
”僕”が今 どんな服装なのかまで 頭に入っているんですね
凄い!!
すでに ”前田”との密会がマークされていそうな。。。
投稿者: おけい | 2010年01月26日 15:43
*** funamyu さん ***
お!そっちの和光で来ましたか!
確かにそっちでも面白いですね~
ストーリーを2本立てにしてそっちも作る、っていうのもアリ?(笑)
TOP-WAN も引っかかっていただいてありがとうございます。結構ウラ取りしたのでうれしいです!
投稿者: hirobot | 2010年01月26日 15:55
*** funamyu さん ***
たくさんコメントいただいて、うれしいです。ありがとうございます!
> あの法人
ピンポーンっ!
それですそっちの法人。
funamyu さんの縄張りなので、まずそちらでくるかな、と思ったら、駐屯地で来たので笑いました(笑)
で、「テロ関連」と来て、なるほど、と関心。
funamyu さんならとっくに SPring-8 は見学済みで、「いや、もう何度も加速してもらいましたよ。気持ちよかった」って感じかな、と思ってました(どないやねんな!それって)。
自分の苗字の駅名って、なんとなく愛着わきますよね。
僕の場合、結構ある駅名なので、その点がちょっと薄い感じで残念です。
投稿者: hirobot | 2010年01月26日 16:00
*** おけい さん ***
こんにちは!コメントありがとうございます。
絵、ほめていただいてうれしいです。ありがとうございます!
> 頭に入って
書いているときは、「僕」になりきってますので!ちょっと降臨してきた感じです。
> マークされていそうな
う!
ハードル上げてきますねぇ。
投稿者: hirobot | 2010年01月26日 16:02